主体性やキュリオシティと呼ばれるもの

最近の大移動…

就職して、いわゆる出張族というやつになった。

いろいろな人を見たり聞いたり、自分で話したり行動したり、このおよそ2年間でしてきた。

 

僕はもうここにいたくないっていうより、自分は本当に何がしたかったのか。何を求めていたのかがわからなくなることが本当に苦痛だった。

 

それは、僕がマイコンレジスタを叩くことで、誰かにすごいと言われたり、

ゼロからコードを書いてすごいと言われたり、

認められたからって叶うものではないということがすでにわかった。

 

出張、現地に向かう新幹線の中でずっと僕に降り掛かってくる、アイディアのような物があって。気がついたらBCIがやりたいって調べまくってて、前回の出張のときもneuroskyを無理して買おうとしていた。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/3fa8c7179cde36a4915bf2ddc75b474c641e7d95

 

仕事のメインタスクとしてやるべきことをやって認められるのはもちろん、それと別に自分の中に単純な好奇心、探究心をただただ満たすためだけのプロジェクトを持っていたいっていう、そういう欲求が僕が転職に踏み切った本当の理由。

 

もともと今の会社、特に今いる部署あるいは主に関係する部署は、いわゆるブラックというやつだったらしい。

その片鱗というか、ある一定の年まで自分のやりたいことというより、様々な感情や反射的な欲求を自ら無視しなくてはならない状況に置かれてきた人というものはやはり"おかしい"。

なにかこう…常に誰かの評価を気にしているというか、

常に自分がどうしたいかということではなく

誰かに〇〇と言われる前にこうしなくてはならない

というような…恐れのようなものが原動力になっている。

 

僕にはそれが心底おぞましいものに見えるのです。

つまりそれは、家畜や奴隷といった類と同じどころか、

家畜や奴隷でさえ本当はどうしたいのかを主体的に考えて常に行動できているとすればむしろ比較することすらメタファーとして成り立たない…

 

僕はずっと、内発的な動機によって起こした行動を評価されていたい。

さもなくば、僕は死んだも同然なの…

 

この会社にきてから、

コードがかけるからすごいとか、マイコンを知ってるからすごいとか

無知がゆえの短絡的な好評価のされ方しか受けたことがない。

 

スタートアップをやってる人や研究をやってる人は、世の中で行われている様々な

人類を前に進めるための資源の構築のための行動

を"研究"とよんで、それを論文や学会を通して知っている。いやむしろ、知り続けようと、さらに深く知ろうとしていることこそそれ自体が、"研究"たらしめるんじゃないかな。

 

僕はそういうことがやりたい。

外発的動機に囚われ続け、考える事のできる生物として死んだも同然のまま、僕は死にたくない!!!!!!!!!!!

内発的動機で、人類を前に進めるために、僕は存在したい!!!!!!!!!!!!!!

 

RMSの自由ソフトウェアに共感したところは、人類が資本や権限といった本質的でない制約によってバイナリブロブ/プロプライエタリなソフトに囚われることを良しとせず、

人類全体を前に進めるための資源としてそれぞれの書いたコードを活かせるよう、ライセンスを定義したこと。

つまり、ハッカーたちはそれぞれプロプライエタリに捕われず人類のために未だかつて書かれたことのないコードを書くことに集中することができる。

そう、"研究"に集中できるという意味で、僕はそれがソフトウェアにかかわらず世界とはこうあるべきと思っている。

 

 

 

すでに一社から内定をもらっているだけじゃなくて、今の会社でもただラダーを組むだけならやらせてやるということを振りかざされてしまった。さらに、それでも年収が高いとまでも…

だけど、そのどちらも僕にとっては外発的な動機を促すためのいわば釣り竿のにんじんでしかない。

そんなものをぶら下げられても、本当に進むべきものを見誤らない。

僕が本当に欲しいものは

自由だ!!

そして、キュリオシティをより人類に対して資源として最も有効的に還元できる場所へ行くこと、もしくはその可能性のより高い方向へ進むこと。

 

やるべきことはたくさんある…決断すべきこともまだまだある…

だけど、僕はもう間違えない。自分の本当にやりたいことを叶えてくれるのは、自分しかいない。

必ず僕は、僕のキュリオシティを追い求め続けることそのもので未来を手に入れる!