昨日の夜と、今日の夜はすごく食べてしまった。
今朝は起きるのが少し遅くて、おにぎりを作ろうとしてごはんをひろげてそのまま具を入れずに半分干からびさせてしまった。
会社を歩いてると、太った人が多い。
だから太ったやつは嫌いだ。
体重計がないから前回の健康診断からどれだけ痩せたかわからない。
だけど要するにあれだけ太ってなおかつ不潔。そう、そういうやつって臭いし通りすがるだけでセコセコしてる感じが伝わってくるというか、
自分がみっともないことはよくわかっているのに、これは僕のせいじゃない、出張が多くて責任の重くて、危険な仕事をやってるからなんだ!っていう、そのだらしなさというかな。
んーでもなんかそれだけでもないかも。うちの会社で見かけるそういうやつに共通してるのって、みんな常に妬みのようなものに囚われてる感じがしてならない。そんなに気病むなら抜け出す努力の一つでもしてみろよって思うんだけど、
やっぱりそれも昨日今日とストレスで食べちゃったからしばらくはそんな事は言えないか。
ともかく、負の感情に囚われちゃどんな会社にいようとどんなに体重管理できていようと、独特の気持ち悪さは出るものだと思う、、、きっと今の僕からはそういう物が出てしまっていると思う。
このまま一生そういうものに囚われないためには、いろんなコンプレックスを克服しなきゃいけないんだと思う。
一週間ほど前寝られない時があって、どうも苦しくて悔しい感情は何なのかと、本当は幸せになりたいし、その可能性のある方へと向かう力を持っているはずが、不幸せであることに安心を覚えてしまうのはなぜなのかを考えてみた。
というか、本当に寝られないのが辛くて、涙が出そうになったときいろんな過去の記憶がパチパチっと蘇ったんだと思う。フラッシュバックってやつだったのかもしれない。
一番印象に残ってるのは昔、3歳とかまだ幼稚園にも通ってなかったかもしれない。家の玄関を入って向かいの奥に4畳半ほどの薄暗い部屋があって、そこで左手の甲をつねられてすごく痛かったこと。
いたいけぇはなしてやって何回も言った。いたいってなんかいもいったの思い出した。
実家のあるあたりは少し山よりで、花崗岩がいっぱいある地域だった。子どもの僕はそんな岩の種類なんて知りもしなかったけど、ただ手のひらに持つとこんなにも硬い石が、落としたりぶつけたりすると砕けるのが面白くて。
だからよく裏庭の崖からその石を落として、下にある家の物干しなんかがおいてあるコンクリートばりの地面に自由落下させて石を砕いていた。
だけどある日、下の家の、家の親より2,30は年上だったと思うんだけど爺さんとおばちゃん?が出てきたところにそれを落としたのが良くなかった。なんでそんなことしたのかはもう覚えてはいないけど、父と母がいままでないくらいどうしたらよいのかとしんみになって相談して菓子折りを買いに行っていたこと、そして自分を連れてその家まで謝りに行ったこと、頭を何度も下げるようどつかれたことを思い出す。
寝れなくて、なんだか胸がすくむような虚しい気持ちになったとき、あの薄暗い部屋でおそらく人生初めて味わった、逃げようとしても逃げられないとてつもない苦痛を思い出してしまったんだと思う。
僕の左手は今でも、ぐっと握り込むと、薬指が伸びている骨の甲がつねったときのみみず腫れが浮き上がる。
どうして僕が幸せになりたくても不幸せに安心してしまうかってことが、これを書いていてすこしわかったことがある。
その事件の後、僕は確か母自身に(たしか朝ご飯だかなんだかをキッチンで作っていて、期限の良さそうなときに打ち明けたような記憶がある)その時すごく痛かった左手について何気なく抗議したことがある。
そうだ。母は料理をしていたその手を止めて、
そんなひどいことをしていたのか!信じられない!もうしないからねぇ…
といって抱きしめて来たのを覚えている。
私の親はふたりとも、人間としていい人か悪い人かにかかわらず、
苦痛を受ければ受けるほど無条件に安心や快楽を受けられるという信念に囚われてしまっている人たちなのだと思う。
その価値観が僕に今、いや今までずっと自分に洗脳のように(いや、これこそ本当の意味で刷り込み、洗脳なのかもしれない)自分を押さえつけてきた不幸せの安心感の所以なのかもしれない。
僕はまだ
この不幸せに安心して、温かいとさえ思っている。
こうしていればきっといつの日か、ありもしない抱きしめてもらえるような幸せが待っていると心の底では思っているのだと思う。
絶対に僕はここを抜け出さなくてはいけない。
僕が本当の意味で幸せになって、本当の意味で安心するためには。
このコンプレックスというか、脳の奥底に刻まれた洗脳から脱してやる。